にゃんぱす日記

ウチの日記兼遺書なのんなー

寵愛を受けたものはわがままになるといいう仮説

にゃんぱす

 

親や周囲に

「かわいいね!」「すごいね!」「えらいぞ!」

と言われ続けた人は、男女問わずわがままになるのではないか?

 

・・・塾講の仕事をしながら何人かの生徒を見てそう思うようになった。

 

特に中高生の間に根拠なくそういうことを言われ続けると多分わがままに

なりやすいのだと思う。

 

ウチの主観の話になるが、ウチが話す10代(中高生~大学生)からは

「どんな相手とでもラフに、軽い友達みたいにしよう」

という姿勢を感じる。

 

これは上司先輩のマウントや理不尽な上下という縦の関係をブレイクできるメリットがある。

一方、色んな相手の背景や生い立ち、バックグラウンドに共感する前に、自己完結させただけの自分の言動をアウトプットさせてしまう幼稚さがデメリットである。

 

ウチ自身としてはこの「誰とでも仲良く」は「敬意」と共に、場合によって使い分けるようにしたいとよく思う。

体育会系の部活をやってた経験もあるが、相手より人生経験が少なくそのせいで自分が色々とうまくいかないときは助けを請わないとならない。

また相手が体験してきた、見てきた世界というのはウチより豊富で、教えてもらった方が物事をうまく運びやすい気がする。

これは年上を前提にするのではなく、若い人や自分と全然違う価値観の人すべてに対しても意識して実践していく。

 

仲良くなって自分を成長させるか

 

相手に敬意をアピールして自分を成長させるか

 

自分を成長させ、その実感を得られるのであればどっちでも使えたほうが良い。

 

 

目的を見失うな

 

 

 

れんちょん