相手を嫌いで居続けるのはエネルギーの無駄
にゃんぱす
タイトル、これウチの話です。
職場で苦手な相手が視界に入ったり物理的な距離が近くなったりすると鳥肌が立ったり、「嫌だなぁ」と毎回思ってしまう。
逆に仲良くしたいなーって思う相手もいて、その人が視界に入ったり、距離が近くなると自分から話しかけたくなったり、なにか手伝おうかなっと思ったりする。
…人間不思議なものである。
好きってのは+の感情だから明るく外向きに使われるけど、嫌いってのは-の感情で暗く内向きに消費される。
つまりはイライラや鬱っぽさに繋がってしまうということだ。
この歳になっても相手を好き嫌いで判別する幼稚な己に情けなさを感じる。
いつまでガキやってんだよ…と。
社会生活で仲良くとはいかずとも、上手くやっていけないとこの先Forever、孤独の一途を辿るだろう。
ウチながらホント社会不適合者だ。
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最近かの有名な「嫌われる勇気」を読み直して、相手が自分をどう思ってるかを推測したり考えたりするのはすこぶる無駄ということは頭で理解出来てきた。
あとは
ウチが目の前の現実や相手、はたまた『世界』をどう捉えるかというのがこれからの課題になると思う。
まず、ものごとを悲観的に悪い方に捉える性格を日々の行動を通して改善していかなければならない。これはウチの考え方を絶対的な正義にするとかではなく、現実をそのまま受け入れる心を養わなければならないということだ。
具体的にはこんなブログや、殴り書きノートに自分の思考をバッチバチに言語化していこうと思う。
一人暮らしで自分と向き合う時間と環境は整った。少しずつやっていこう。
今日はここまで
れんちょん