にゃんぱす日記

ウチの日記兼遺書なのんなー

虚無虚無びより

にゃんぱす

 

今日は一日なにをするにも丁寧にしようみたいな心がけで生活してたのんですが

お昼ご飯を食べた後にめっちゃ昼寝してしまいましたん

 

これじゃあ丁寧もクソもないなぁってことで、なんともやるせない気持ちになりながら今日の記事を書いてますん。

 

まぁそうなったのは最近地味に感じてる「虚無感」のせいだと思いますが、この虚無感は過去と比べてウチの考え方が成長したんだと思っていますん。

何かにおびえ焦り、得体のしれない何者かにならないといけない、という数年前に抱いていた不安よりはマシな状態ですん

 

これはニーチェの哲学について本やyoutubeなどで少しずつ知識や考え方を得て芽生えてきたと思いますん。

 

今回はじゃあそのニーチェがどんなことを言ってるのかということを、ウチが読んだ本を参考にひとつだけお伝えしていきますん。

 

 

 

 

無意識に周りを気にする気持ち~背後世界

背後世界という言葉がニーチェの考え方にありますん。

外部から勝手に押し付けられた価値観や考え方、それを気にしてる自分の思い込みというものまで含めた世界のことですん。

 

たとえば以下のような感じとかですん

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お金がたくさんある

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試験に合格した

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結婚して子供を授かった

 

これは、自分が一生懸命頑張ったり、いい縁に巡り合えたりして大体の人が手に入れることができるいわゆる「普通」の人生ですん。

確かに目標をかなえられたり経済的に成功したり、かっこいい夫やかわいい妻と愛のある家庭を築いたりすることはうらやましいことですん。ウチの中にもうらやましい気持ちはありますん。

 

でも

それがまるで絶対的な、到達すべき事象だと謎にプレッシャーを与えられるならどうでしょん?

 

周りの連中は多くがそれらを叶えており、まだ何も手に入れてない自分はそれを目指さないと不幸だ、価値がないのだと思ってしまうこともあると思いますん。

 

今日は成人式ですが、例えばウチは自分が大学に入って20歳になっても女性経験のないどうしようもない童貞であることをかなり気にしていましたん。周りのヲタク界隈の友人の中でひっそりしており、そんな友人の一部にも彼女ができたり、彼らが経験したアダルティな話を聞かされたりしましたん。

そんなウチは成人式の直前に一人で近くのホテルに入り熟女デリヘルを呼びましたん。

40後半くらいの優しそうな、でもたるんだボディのおばさまで、そこで形だけの童貞卒業を果たしましたん。

 

・・・そして意気揚々と向かった成人式、そのあとの学年同窓会では、同級生の女の子とおしゃべりして懐かしみパッション燃えるような案件もなくただただ隅のほうで自分と同じ陰の者同士で空笑いしながらグラスでウーロン茶を飲んでましたん。(THE END)

 

 

話は戻り、しかしそれは外から勝手に押し付けられた(友人や先輩や親に言われた)、自分で強く思い込みすぎた、現実には観測されることのない意味付けですん。

 

そんな定量的に測れない、客観的に絶対に100%幸せになれると証明できないものと今の自分を比べてなんで不幸にならないといけないのんでしょうか。

 

おかしい。

 

「○○とは本質的にこういうものなんだ」といった話は、全部、その時代、その地域でどっかのだれかが勝手に考えた「架空の存在」にすぎないんだ。(中略)....そんな「見たり触れたりできない、ありもしないもの」に縛られて、自分自身を惨めに思う必要なんてないんだよ。

飲茶著 最強のニーチェ入門より

 

ウチが読んだ本の中にも上記のメッセージが書かれてあり、これには励まされましたん。

 

このあと、ニーチェのいう「神は死んだ」に通じるニヒリズム末人永劫回帰などにつながっていくのんですが、ウチはこの虚無感というのをここ最近少しだけ受け入れられるようになりましたん。

 

最終的にニーチェは「強くなろうという意志を持って生きろ」と主張するのんですが、

ウチは別に無理して強くならなくてもいいと考えてますん。

 

というのも、ウチはこの世界にいてもいなくても、社会的成功者になってもどうなっても多分世界は全く変化することはないと考えてますん(世界=地球とか)

 

鬼滅の刃の炭次郎みたいに明確な目標があればがんばれそうですが、特にそういった壮大な目標は20代に入ってからはなく、でも謎に生存本能だけは強いほうだと思うので死ぬこともなく.......

 

そんな感じのよくわからない状態というのは、ある程度の期間あっていいのではないかと思いますん。

 

第三次世界大戦や宇宙人侵略とか令和飢饉とかニートフリーター虐殺とか、そういう大きなものに巻き込まれたら、多分否応なしに自分の進むべき道は見えると思うので、良くわからん価値観に振り回されずとりあえず今この時間を丁寧丁寧丁寧に生きていきたいなぁっていうのがウチのメンタリチィですん(極端)

 

そのときどきで必死に生きて、死ぬときは死ぬ

そんな心の中が刹那な社会不適合者の日常でも、いいんじゃないのんかな

 

 

 

れんちょん